きれぎれの風彩(ふうさい)

庭木や植物、自然やエコを中心に…関心のあること、気になったことを綴っています。

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切れている県境、細く変な県境

私の実家は新潟県の片田舎です。最近まで知らなかったのですが、新潟県には変わった県境線が2つあります。

切れている県境
土地に線が引いているわけではありませんが、県境などの境界線は決められているもの・・・と思っていました。しかし、新潟県糸魚川市と長野県小谷(おたり)村が接している県境の一部?には、県境線がないのです

地図上では、境界線が消えています。その間約1キロメートル

何故、このようなことに・・・?

理由その1:もともとこの一帯は山間で住民がいなかったため、県境についての話し合いの対象にならず、古くからうやむやになっていました。

理由その2:戦国時代、国境にあたるこの地の警備には、謙信も信玄も特に強化していました。その緊張感は江戸時代まで続いていたといいます。このような対立感情を発端にし、いまだに合意ができないでいます。

というようなことが(第三者からは)挙げられています。しかし、両自治体は昔から結びつきが強く、現在でも協力体制を築いているそうです。実際は、何故境界線を作らないのか分かりません。

とここで、ニュースです。糸魚川市の市議からは、生活や経済面で関係が深い長野県小谷村と合併した上で、長野県に「婿入り」するという構想がでているのです。(詳しくはこちら。)ということは、将来合併するのだから境界線なんて要らない!と考えている方もいるのでしょうね。


細く変な県境
地図上では一見、新潟県と山形県の県境にある「御西岳~飯豊山~種蒔山」の周辺ですが、県境線が二重になっています。よく見ると、福島県の領地が新潟・山形の間にくねくねと割って入っているのです

領地の幅は1m~数m。3歩で3県を行き来できてしまうほど狭い県境の土地が、約8キロも続きます。

何故、こんなに奇妙な県境線(領地)に・・・?

この地は長く会津領でしたので、若松県~福島県に属していました。ところが、明治時代に、福島県の県庁所在地である福島市があまりにも北東部に偏りすぎているという理由から、(郡山町への)県庁移転問題に発展しました。そこで、1886年(明治19年)県北の福島に県庁を留める代わりに、福島から最も遠い東蒲原郡が新潟県に移管する事で解決したそうです。

飯豊山はこの時点で新潟県になりました。しかし、飯豊山は山岳信仰の聖地で、山頂には「飯豊山神社」があります。社殿や登山道(参道)は16世紀に会津領主が整備し、以降会津の人々の生活や宗教と密接な関わりをもつ山となっていたのです。住民にとっては、神社及び参道は譲れなかったのです。

領有権争いは約20年も続きました。1907年(明治40年)、国に判定を委ねることになりました。そして、綿密な調査の結果、神社・境内、登山道の帰属は福島県にあると認定され、現在のような細く変な県境線になったのだそうです。

ちょっと変わった、新潟県の県境線のお話でした。


*最後までお読みいただき、ありがとうございます。『きれぎれの風採』では、庭木(植木)や草花、自然やエコを中心に綴っております。どうぞ、またお立ち寄りください。
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